2009/02/28

インドつれづれ

おとといのことですが...
スタジオからの帰り道やられましたーー!! 悔し〜〜い。

顔面に、水の入った風船をぶつけられ、それはちょうど眼鏡のど真ん中にあたり
割れました。ずぶぬれとまではいかないけれど、水が、顔、頭、洋服に飛び散り
「いきなり何なんだ?! 恨みでもあるのかー!」と思いましたです。「誰だー!!!
と叫んで、その後、私のとった行動は、とてもブログで書けるようなものではありません。
あしからず...


色かけのお祭りが今年も近づいてきているからなんですね。今年は3/11だと思います。
正確にはわからないのですが、その約2週間ほど前から水掛けがボチボチ始まります。
特に夕方、子供達はみんなベランダに待機しつつ、やってくる通行人を目がめて
水鉄砲で水をかけたり、水の入った風船を投げたり...。
水の届かない水鉄砲をいじっている小さい子供なんて超可愛いものです。
しかしねー、人の顔目がけて投げるとは何事じゃ〜〜〜。
新聞でもそういうことは止めるような注意書きがデカデカとたくさんあるではないかー。


本当におとといは油断していました。こんな早くからそれが始まるとは思ってもいませんでした。
それで、昨日の帰り道は、すごい頭痛がしていたので、いか〜にも具合悪そーな人を演出しながら
帰ってきました。彼らは、お年寄りや、ちょっとした大人、身体の悪そうな人には遠慮します。
ということは、私はまるで仲間扱いされているとでも?

そして今日は、慎重に、道路に水が落ちている辺りでは特に、上や横をキョロキョロ
見ながら、水を持っている子供を見つければ、立てた人差し指を横に振りながら
「チッ、チッ、チッ、投げるんじゃないよー」と眼力で合図を送りながら無事帰ってきました。
あと10日も演技しなくてはいけないのか? ネタが続かない...。

2009/02/25

ナンバル・ワン



インド人の英語は、信じられないくらいハッキリ発音します。
イギリス人でもアメリカ人でもそこまでやらないでしょ? というくらいに...。
Bankを「バンク」と発音しても通じない。
口を目一杯横に開いて「ベエーンク」みたいに言わないと...
「r」は必ず巻く。数字も「ナンバー」ではなく「ナンバル」。
それに最後のほとんど無声音の「m」や「n」までも区別をつける。
私の話す英語はいまでは、Japanese-Indian-English だと思います。


この「ナンバル・ワン」人形は、リシケーシュにあった子供用の手動メリーゴランド??




先日ご紹介したように、美しい自然に囲まれ、動物とまるで共存していると
実感できるようなリシケーシュにおいて、逆に、このような色使い そして
ちょっと人工的なものも目に止まります。



これはお寺の屋根なんですけど、こってりとペンキが塗られて、この形といい
キュートです。




建物ついでに、リシケーシュにて案内して頂いた「瞑想の森」です。
たくさんのマンゴーの木に囲まれてそれはありました。
数名の修行者の姿もありました。




最後に店頭におかれていた象。

2009/02/23

シヴァ神のお祭り

今日は「マハー・シヴァラトリー」と呼ばれるシヴァ神のお祭りの日でした。
そして午前中、デリー大学の近くでバッバル氏のプログラムが行われました。




先週の土曜には、今日のためのリハーサルをタブラ奏者としていたので
聴いていましたが、その中に、私の一番好きな歌もあったので
今日はそれを期待して録音の準備もして行きました。

その歌は「3+2+2」の7拍子で、ゆったりとした旋律のカーブでうねうねと
長調と短調の中間あたりを哀愁漂わせながら進んでゆくので、ジーーーンと
しながら聴き入ってしまうのです。
初めてこの曲を聴いた時からかなり心奪われ、今でもバッバル氏の曲の中では
私はこの曲が一番好みです。
古い映画の音楽などでも素敵な曲だなと思うのは「ルーパク」と呼ばれるこの7拍子で
できているものが多いのです。

プログラムの前半は、多くの人が知っているような曲も入れ、聴衆の人にも一緒に歌わせたので
かなり盛り上がり、途中で数人のお話が入った後、後半の部へ。
ここに集まった100名弱の聴衆は、演奏の前に、早朝から他の講演も聞いたりしていたようで
時間的にはすでに盛りだくさん。とっても喜んで聴いている人はその状態を続行していますが
人によってはそろそろ疲れが出ていたような感じ...。
そんな中、なかなかそのお目当ての曲が出ないので、今日は無いかもと諦めかけていたその時
「では最後に...」とようやく出ました!

曲を聴きながら、旋律を追いながら、声をオンド・マルトノの音に置き換えて
オンド・マルトノで弾く事を想像します。オンドで弾けないかな〜〜と。



帰り道、バッバル氏は「後半の部は必要なかった」と言ったので
私は「最後の曲が好きでそれを聴きたかったから...」と答えましたが
「私はあなたのためだけに歌ったんだよ、ワッハハ...」と冗談まじりに返されました。

早速録音を聴きながら音をとってオンドで弾いてみました。
独特のインド音楽の歌い回しで、つかみにくい箇所もあるので
弾き込むことによって、いい雰囲気が出ればいけそうという手応えです。

2009/02/22

ガンガー&アニマル



再びリシケーシュのガンジス河と再会です。
いつもそこにある、美しい色と雄大な流れに、ホッとさせられます。
前日のブログにある吊り橋「ラクシュマン・ジューラ」からの眺めです。
橋の入り口にはガンガーをじっと見つめる犬がいました。




そして牛とともに橋を渡ると、そこには別な牛と猿が待っていました。



ここから、もう一つの吊り橋「ラーム・ジューラ」へと向って川岸を歩きました。
途中緩くカーブするガンガー、美しいです。



今度は、ガンガーをじっと眺める猿を発見。
哀愁を帯びた後ろ姿、猿の気持ちがわかるような気がしてきます。




別な日、少し村の方へ、タブラ奏者の人に連れて行ってもらいました。
そこでは、より穏やかな光景に出会えました。
道端では犬が数匹、手足をまっすぐにのばして昼寝しています。



牛たちもの〜んびり。下あごがズレていて歯が見えます。



ガンガーもダムに近づくため穏やかな流れとなります。
鳥がゆったりと泳いでいます。






ガンガー沿いを、手をつないで歩いている二人の小さな男の子とすれ違います。
こちらから声をかけても、一言も発しないで少しビックリした様子でした。
怖がらせてしまったか...。


陽も落ちる頃、通りへ出ると、牛の軍団がやってきました。
一定の早さでズシズシと行進します。




太陽は沈み、そしてまた、日は昇るんだな〜〜
自然の中で、我々は生かされていることを感じます。感謝。

2009/02/21

デリーに戻りました!



丸4日、リシケーシュでの滞在を満喫してきました!

メインは、タブラとカタックダンスとのリハーサルでしたが
ヨガや瞑想の指導をして頂きながら、愛情たっぷりのアユールヴェーダ食を頂き
そして自然にたっぷりと癒されてきました。
また素朴で心温かい人々との交流も、こちらも心温まりとても楽しかったです。

先月脚をのばせなかった、もう一つの吊り橋<ラクシュマン・ジューラ>へも
行ってきました。






それにしても、リシケーシュもデリーもかなり温かくなってきましたーー!!
あと1ヶ月もすれば、日本の夏というところまで達しそうです。
(上の写真はリシケーシュで今回撮影)


ところで、お世話になったカタックダンサーは「デリーへ行くと東京へ来たみたい」
と言っていましたが、「まさに!」
自然に囲まれたリシケーシュからデリーに戻ったら、これでも「都会だな〜〜」と実感。
それに今では、ニューデリー駅から、メトロで家の近くまで一気に帰って
来れるのですから...。


得た事。
今回の旅を通して、新しい経験はどんどんしていくべき...と改めて感じました。
経験がないと、判断がつかなかったり、私の場合は頭がモヤモヤしてしまいますが
ひとつひとつの経験が少しずつ物事をクリアにしてくれているようです。
そんなこともリフレッシュのひとつとなりますネ。

今回、行きは、バスの経験豊富なダンサーさんと一緒だったので
初めてローカルバスでリシケーシュまで行きました。

一体ローカルバスとはどんなバスか...?
窓がしっかりと閉まりきらなかったり、通路にまで荷物がビッシリだったり、
床がゴミだらけで汚いバスもあったり、運転の荒い運転手もいたり... と
そんなではありますが、距離にして300km強のリシケーシュまで
日本円にして200円台で行けてしまいます。

交通量の多いデリーを抜けるのに時間がかかったのと
途中で、渋滞中の反対車線からこちらの車線に回り込んできたトラックや車のため
車線が狭められ、バスが通れず、擦った揉んだあったりしながら
途中休憩を挟んで7〜8時間ほどの道中でした。

これもひとつの新たな経験となり、結果として
「やっぱりバスは止めとこー、電車がいいな」ということになり
帰りは電車にしました(笑)。


あとは〜、リシケーシュは修行者の町でもあって、修行している人とか
ある意味極めた人とか、普段接しない人にも接する事となり....
この方の前でハーモニゥムを弾きましたです。鍵盤が緑色!



それで、この方の運転するスクータ(それだけで見た目奇妙でしたが)に乗せてもらいました。
この人の後ろに、大人が一人、そのまた後ろに私が、お尻1/5ほどをひっかけて座るという有様で。
一体この光景はどんななんだと、自分で自分を見てみたかったです。
これは最初で最後の経験かと思います、ハイ。


ところで、ダブラ奏者もいろいろなタイプの人がいて、最近は数名のタブラ奏者と
オンド・マルトノやハーモニウムを弾いて合わせてみているのでいろいろとわかってくるものが
あります。いい勉強になっていると感じるとともに、同時に頭もクリアーになってきて
進むべき道も見えてきて、心もフレッシュです。やはりやってみることだなーと実感です。


リシケーシュ続編は、「ガンガーとアニマル王国」。お楽しみに〜〜。

2009/02/12

こうなったら...



今日も、甘党でせめちゃいましょう!!

それにしてもこのケーキ、インドっぽくないです、見た目も、味も。
...というわけで、とっても美味しかったです ^^"


今日は知人の誕生日で、およばれしてきました。
おめでたい人が、家に呼んでパーティを開いたり、おもてなしをしたり、
その幸福を人に分け与えるのがインドの習慣。 とはいえ、
全員がそうするということではないみたいですが...。


今日誕生日だった知人はシーク教なので、ヒンドゥー教とはまた違った儀式が行われました。
まずは、シーク教の聖典「グル・グラント・サーヒブ」を前にキールタンが歌われました。
歌ったのは誕生日の本人がスルマンダル(ミニ・ハープのようなもの)を弾きながら
また、ヒゲの長いおじさんがシタールを弾きながら...。
同時にエレクトロニック・ターンプーラの持続音も鳴らされ、更にこのシタールのおじさんは
数種類のタブラとその他の打楽器があらかじめ録音されたパソコンに
今風のスピーカーをつなげ、要所要所でパソコンのキーボード上を操作しては
伴奏形を変えるという作業もうまくこなしていました。今は、もうそんな時代なんですね。

写真がないと、この説明ではわかりにくいかもしれませんが
神聖な雰囲気でカメラを取り出しにくかったのです。

その後、これまたヒゲの長い聖教者のような人がマントラのようなものを
唱えて...。そしてようやく、聖典の上の数枚の布が開かれ、聖典が登場。
それはそれは大切にされている感じで、布はまだしも、毛糸で編まれたものにまで
包まれていました。下の写真は終わり間際のものです。
このやぐら(?)の布の下に聖典が置かれています。




そして、その後は集まったみんなでランチとなりました。
ケーキはそのデザートでしたが、2つ用意されていて、ひとつは昔ながらの
インドのケーキ。そしてもうひとつがインドにしてはモダンな上の写真のケーキ。
Happy Birthday Song♪のあとは、誕生日の人がスプーンでケーキを
それぞれの人の口に入れてくれるというお決まりのイベントです。

美味しかっただけに、その後、このケーキを囲んで、自分でスプーンですくって
食べ続ける人が数名いました。そのうち、どこからか容器を持ってきてキープする人まで
出てきました。インド人はこういうところであまり遠慮したりはしないし、
恥ずかしさも感じていないようだし、はっきりいってガメツいなーとも感じられましたが
こういうことができるなんて、反面、純粋だな〜とも思います。

2009/02/10

アーグラーと言えば...



只今、デリーでは久々にかなりの雨が降っています。
遠くでは雷も鳴っています。
明日の朝は埃も洗い落とされ、樹々の緑が美しいことを期待したいです。

今日は午前中から雲行きも怪しく、私などは、雲ってくるとついつい
「天気が悪くなってきた」ともらしてしまいますが
対して、インド人は必ずと言っていいほど、
「Good weather !!」と喜びます。
それを聞くと、やはりインドは暑い国なのだと実感します。


タイトルに話しを戻して、アーグラーと言えば...
それはそれは有名なタージ・マハルが真っ先に浮かぶのですが
アーグラーの名物のお菓子があることを知りました。

ガイドをしている友達がアーグラーへ行ってきたおみやげに買ってきてくれました。
そのひとつが 上の写真の「ペーター」というお菓子で、野菜の砂糖漬けです。
おそらく「瓜」ではないかと思うのですが...。

これがただ甘いだけのお菓子ではなく
オレンジ色のは薔薇、白いのものはプレーンなものとココナツが周りに付いるもの
そして黄色のものはサフランが使われチョコレートでコーティングされています。
その上に銀色の飾りが付いて、またカシューナッツが埋め込まれているものもありました。

どれも香りが抜群で、野菜のシャリシャリとした歯ごたえと
砂糖の少しとろけた感じがうまくマッチングしています。 
確かに甘いですが、ついつい手が出てしまう美味しさです。
しかし、1キロも一人で食べることは考えられません !!
スタジオへ持って行ったら、みんな大好物で、みるみるうちに...。

「Panchhi(パンチー)」というお店が老舗で有名らしく
さすがにその貫禄を十分に感じさせる味です。



そして、もうひとつそのパンチーから、セサミと砂糖でできた「ガジャク」という
お菓子もいただきました。日本の胡麻よりも、小さいし多少淡白な味ですが
ふんだんに使われています。似たようなお菓子は日本にもあると思います。
甘すぎず香ばしく、こちらもついつい、「少しだけ... 」を何度も繰り返し
結局かなり食べてしまっています。先日は立て続けにミターイーを食べたし
最近、甘いものに縁があります。 太りそうです...。



書いているうちに、雨はいつの間にかあがっています。
もっと降ってくれてもよかったです。

2009/02/09

Imagine



実は部分的に透明人間だったりするのかも...。




時には寝転んで、脚を投げ出してみたりも、するわ...。




You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will live as one

2009/02/08

メトロいよいよ!!



部屋の窓を開けると、真正面にはメトロの高架橋が見えます。
このところしばらく試走が続いていましたが、このたび
ようやく、最寄りの駅までメトロが走り出しました。
駅までバスやオートリキシャを使わなくても、徒歩5分以内で行けるので
とっても便利、かなり嬉しいです。 特に夜のコンサートの帰りの心配が減ります。


今日初めて足を踏み込んだ駅は、真新しくできたてホヤホヤな感じ。
この Model Town駅からは、地下を走っていたメトロが地上にあがり
メイン道路の上を高架式に走ります。いつも歩いている道や近所を
上から見る事ができるのも気持ちいいですね。
自分の部屋を電車の中から見てみたいので、用もない反対ホームから
乗って行ってみたくもなります。たぶんそのうちやると思います。




反対方向へ進む電車。




blueな色がなんとなくいいです。関係はないんですけど
今日は「Blue」のCDを買いました。これもいい感じでした!




しかし、ここはインドだけあって、まだ工事中の箇所もたくさんありました。




帰りは少し遅くても安全と思い、友達としゃべって、夕食も済ませて戻ってみると
家に一番近い駅の出口は閉められ、反対側の、それも一番遠いところへ回るように
合図される。重い荷物も持っていたので、難儀やないか〜。

車の量がとても多く、通行人のための信号もなければ横断歩道もない大通りを渡るのが
一苦労なのです。以前、ここで逆走してきた自転車にぶつかっているので、
それ以来、警戒心が極度に増してしまって、ホント苦手だな〜〜この道。
車が完全に切れてからでないと渡れないので、今日も道路の真ん中の分離帯の上で
しばらく立ち続けなければならなかった...。

歩く人のことが全然考えられていない道路の構造、そしてホーンをガンガン鳴らして
我が道を行くごとく飛ばす車。「自分のことしか考えていないのかーーーッ!!」と
喝を入れたくなります。


ところで、メトロは2/3からすでにModel Townまで走ったらしい...。
この前メトロに乗ったのは6日じゃなかったか〜!? 知らなかったため
いつもと同じデリー大学近くの駅までオートで行き、帰りもいつもと同じ駅で
降りてオートを使ったのでした。 ガクッ...。

2009/02/04

Mission Music

今日はスタジオにて、Satish Babbar Creative Music Foundation主催の
コンサートが行われました。 
<Mission Music>と名付けられ、月1回位の割合で開催していく予定です。
Foundation自体が、若い音楽家の育成やチャンスを与えることを目指しているので
その趣旨にピッタリの企画で、いよいよFoundationも動き出してきた感じ...。

今回メインで演奏したのは、16歳のシタール奏者と21歳の歌手です。
そして、現在はオーストラリア在住で、たまたまデリーを訪れている
バッバルさんのシタールの師匠もゲストとして来て頂いて、挨拶もお願いしました。
師匠は日本語を少し知っていて「こんにちわ〜」とスタジオへやってくるのです。

インドの音楽家はマルチな人が多く、バッバル氏もその昔は役者をやったり、シタール奏者
でもあって、またタブラやタンブーラも持っているし、ちょっとしたことはできるようです。
バッバル氏のシタール師匠も、ハーモニウムをバリバリ弾く上
インドの古い歌も次から次へと大きな声で歌い続け、歌手同然の方でした。



バッバルとシタール師匠(左)。最前列で行儀良く聞いている子供達が可愛かったです。


ところで、シタール奏者は、お父様も素晴らしいシタール奏者です。
幼い時からその手ほどきを受け、今ではもう凄いのなんのって...!!!
弦を揺らす甘〜い響きから、超快速跳躍バリバリの超絶技巧まで、何でもござれで
みんな「うわっ、うわっ」と感嘆の声をもらし、拍手も所々で出ます。

この写真の右側で金色の洋服を来ている人がお父様です。




次なる歌い手は、早業でインドの音階を歌うターンの箇所では、
声を相当な低音でブルブルに振るわせて、手も顔面もブルブルに振るわせて、
どこから声をどう出しているのか驚くばかり... そうかと思うと
突然高音まで一気に駆け上がるあがっていったりします。



サランギー(右)とタブラが伴奏。


そして、予定にあったのかなかったのかはわかりませんが最後に共演となりました。
二人の”競演”というべきもので、次から次へと即興による掛け合いでたたみかけます。
聴衆も湧きました。そしてベテランのタブラ奏者も、時々ハイテンションで
ドスの利いたリズムを織り込みます。




インド音楽のコンサートは夜始まって、翌朝まで続くとも言いますが
まさに、こういう風に白熱は続いて終わらない...ということか...。
ところが、今回のコンサートは終わりがあるコンサートで、
上手に終わりに持って行っているようにも感じられた、ちょうどそのとき、
相当弾きまくっていたシタールの弦が一本切れてしまい、そのまま歌で締めくくり
お開きとなりました。

私は今、オンド・マルトノでインド音楽のラーガを練習していますが
素晴らしい演奏を聴きながら、た〜〜〜くさ〜〜〜んの課題が出てきました。


コンサート後は、バッバル家のサーバント手作りのパコーラやサモサ等のスナック類
とともに歓談の時間。

2009/02/02

@random

棚を片付けていたら、ズボンのベルトが出てきた。

「そう言えば、クリーニングにズボンを出しに行ったとき
 ベルトだけは返されたんだった」
「そのズボンまだ取りに行っていなかったな〜」
「でも、控えの紙を無くしたかも?」
「う〜ん、やっぱり無い」

クリーニング店へ行き、控えを無くしたことを説明し
「たぶん1月の前半だったと...」

店にあった1月分の控えを出してもらって片っ端から調べる。
無い。 しかし名前の書いていない紙もあって
自分が名前を書いたかどうかも覚えていない。

店には留守番の人だけで、店主のいる時にもう一度来るように言われ
再び、日を改めて出かけた。そして今一度1月と12月分の控えを全部調べた。
ひとつだけ「Ayako」と書かれたものがあった。
そして、店の人がその番号のものを探したが見つからない。
よく見るとその控えには、セーター1枚と書いてある。
それは、もうすでに受け取っていたものだった。

「11月だったかな?」

11月分のノートも全部出してもらって、また探し始めた。
再びAyakoと書かれたものが出てきた。上着3枚とズボン1枚と書いてある。
「あれ? このズボンはどのズボン?」
全然記憶が無い。
「もしかしたら記憶違いだったかもしれないので、家に戻って確かめます」
と言い店を後にし、戻って部屋を調べた。

あった!!   探していたズボンはクリーニングも終えてしまってあった。

控えの紙を無くしたと思ったのは、いつもはすぐに財布にそれをしまうのに
一度、それをしなくて「なくすかも?」と思ったことがあり
その記憶が強く残っていたからか...。 思い込みの連続。

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歯医者へ行く。先週の土曜に行くつもりだったが、電話をしても誰も出ないので
ドクターが来ていないのかと思い、あきらめて月曜に行った。
しかし、月曜は混むのだった。 たくさんの人が...。
待つ時間を利用して果物屋へ行き、果物を仕入れ、再び歯医者を覗くものの、まだ大勢待っている。
それでは...と、今度は違う店に向った。久々に訪れた店だったので
品物も随分と変わり、予想外にそこに長居してしまったようだ。

歯医者へ戻ったら、私の顔を見るなり受付のお兄さんが「あーーーん」ってな顔をした。
もしかして、先を抜かれたかな?  自業自得、仕方ない。
しかしそれにしても、その時診察中の一人がと〜っても長く
時間をつぶした甲斐もなく、長々と待つことに...。 失敗したな〜。
ようやく自分の番になった。ドクターに「どこにいたの? 呼んだけどいなかった」と
言われた。やっぱり。あのお兄さんの表情はそういうことだったのか。 
その他にもいくつか、今日は自分の感覚が鈍っているのを多々感じた。うーーむ。

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歯医者を終えて、乗ったオートリキシャ。乗って5メートル進むなり突然止まる。
「何事?」とオートワラ(運転手)を見ると、「1分待って!!」と言うなりオートから降り
道沿いの店に向った。タバコかなにか買うのかと思ったが、インド人の1分は数分である。
時々あることなので、そのまま少し待っていたが、それにしても、乗ってすぐに止まるなんて
進んでいないも同然。タダ乗りにもならないので、他のオートに乗り換えようと、
オートワラの方を見つつ、そこから降りるアクションをとる。
すると、こちらを気にして、オートワラは「すぐだから、待っていて」と合図を送ってくる。
どうも腕時計をなおしてもらっているのか、買っているのか... そんな風だ。
「どうも、どうも」ってな調子でオートワラは戻ってきて、運転を再開した。

私に借りができたのか、オートワラはその分、スピードでそれを返そうとしているかのようだ。
メチャ早い。ところが、道を曲がったら、そこは渋滞だった。
しかし、オートワラの勢いは止まらない。混んでいる通るべき路線の反対車線へ出て
思いっきり逆走を始めた。インドでは時々あることだが、これは本当に危ない。
しかも、こちらの車線だってかなりの車が次々と対面して来る。逆走するには相当長く感じた道、
クラクションもたくさん浴びた。 やれやれ、一息。 そして左へ曲がると今度はそこは
我々の行く車線が工事中で、再び反対車線を走らなければならない。ところが
この反対車線の路側帯は排水がおかしいらしく汚い水で溢れている。なので
対向車も追い越し車線側を走りたい。日本ではあり得ないが、交通ルールが滅茶苦茶なインドでは
こんなことも非常に多い。交通事故も多いわけだ。そして、このオートワラの勢いは冷めない。

前を走るリキシャ(自転車)を2台抜きはするし、車までも追い越す
その度に対向車とギリギリぶつかりそうになりながらも、とにかく進み続ける。
インド人の運転感覚は本当にわからない。待つ事を知らない。傲慢な運転が多すぎる。

いつの日か、交通ルールが改善される日が来るのか...。
クラクションを異常に鳴らさずに運転する日がはたして来るのか...。

2009/02/01

花と火に癒される



2/1はバニーの誕生日で、ハワンという、火を焚いてギーをたらして...という
お正月にも行ったような儀式がバッバル宅で行われ私も参加しました。
自分が唱えられるマントラがひとつしかないので、その他は口まねで
鼻歌にしたりしながら...。 火がメラメラと燃えてくると顔が温かくなり
本当に気持ちがいいです。この火の温もりと、そして最後に花びらをお祝いの人に
振りかける、これが楽しいのです。花びらをかけられると、かける側も、どちらも
自然と笑みがこぼれますネ。

次々に花束も届きます。インドでは、花束タイプのものと、下の写真のような
アレンジものもよく使われます。時には、カラースプレーで色をつけたり
キンキラキンに金粉等をデコレーションしたものもありますが
自然のままがいいですね。