2009/01/31

バサント・パンチャミ

夜は多少冷えますが、すっかり初春の気候となっているデリーです。
インドは気候の変わり方が素早いので、風邪ひきの増える時期でもあります。

北インドの暦でマーグ月後半の、月が満ちてゆく5日目(今年は1/31)は
春を迎える女神「サラスワティー」が地上に降臨する日で
「バサント・パンチャミ」という春の訪れを祝うお祭りでした。

ちょっと雰囲気が違うサラスワティーですが、
デリー大学音楽学部のステージに飾られていました。



サラスワティーは、もともとは河の女神、河を守り、作物を実らせます。
この時期、インドの畑は一面「菜の花」が咲き、見渡す限りの黄色い絨毯となるそうな。
菜の花は、葉も食べますが、マスタード・オイルとしても重宝されています。
そして、バサント・パンチャミを象徴するカラーは「黄色」!!
この日は黄色やオレンジ色の洋服を着る人も多いです。


そして、サラスワティーは春をもたらすとともに学問と芸術の女神でもあります。
スタジオでも祭壇に黄色やオレンジの花輪をかけ、黄色のミターイ、
ラドゥーを供えました。 私も一口頂きました。
「あー、今日だった...。」とその日になって思い出し、用意したというわけでは
ありましたが... 毎度のことですね...(笑)。


そして、デリー大学音楽学部では、お祝いの音楽会が催され、招待されている
バッバル氏に付いてバニーと拝見してきました。

終わり頃に行ったので、最後の2つしか聴いていませんが
一つは、インド式オーケストラ。
指揮者がいて、インド古楽器とコーラス隊と、そしてシンセとオクトパッドと
呼ばれるエレクトリック・パーカッションの演奏でした。
曲は、インド古典音楽にジャズが混ざっているようなもので、頑張っている雰囲気が
伝わってきました。あまり耳にしない類いの音楽という意味ではおもしろかったですが
時々右側のスピーカーからだけ、あるいは左側からだけしか音が出ないのが
はたして効果としてなのか、単にトラブルなのか区別がつきませんでした。



そして最後に、インドの古典音楽。<ラーガ・バサント>が歌われました。
ラーガはインド音楽の音階で、その種類は一年中、24時間、季節と時間と密接に
関連して存在しますが、<バサント>はまさにこの春の音階による曲です。
みなさん、何気に黄色っぽい服装です。この時期になると思い出す事には
以前黄色のTシャツを着ていたら、目ざとく冗談好きの友達が、私にインド名をつけてあげるといい
「バサンティ」と名付けました。ヒンディ語で女性形は「-i」(イ音)で終わるので
語尾をご丁寧に変化させてくれたようで... 最近はすっかり会っていないけどどうしているかな〜 



みなさん、黄色に近い色でまとめています。

髪飾りも本物の花が添えられていて、奥ゆかしくていいですね。

2009/01/30

リシケシュ紀行 <6>

<Mr. Babbar ②>  歌う門には福来たる〜?



上の写真は、リシケシュに着いた翌日、ムクタさんのアシュラムにて
行われたキールタンで、ゲストとして歌っているバッバル氏。
バチッと決めてくださって、会も締まりました。

演奏が終わって、みんなでランチを頂いてからも
リシケシュ在住で、ムクタさんご推薦のタブラ奏者、シャンカル氏と
ノリノリでリハーサルが続きました。

実は、このシャンカル氏をバッバル氏が気に入るかどうかが
今回の我々の一つの目玉でもありました。
私たちは予定している演奏会で、シャンカル氏にタブラを
お願いしたいと思っているからです。
しかしバッバル氏は、リシケシュに来る前までは、なかなか信用してくれません...。
小さな町で実力がともなわないのに鼻高々と...という演奏家もいないではないのかも
しれないですけど、会ってもいないうちから決めてかかるのはどうかな〜〜。
でもムクタさんは、実際に聴いてもらったら絶対にわかると信じていたのであります。
私は話しを聞く限り、とっても人間的に良さそうな気がしていて...。

リハーサルの様子を垣間みるにつけ、すごい!! 思いっきり楽しそう。
うまくいっている様子です。何曲も合わせています、そしてついに
バッバル氏の十八番の歌が登場。この歌が出るってことは、、、
バッバル氏は彼を気に入っているんじゃない???!!! 大成功!!
と、私とムクタさんは隣の部屋で抱き合って喜んだのでした。
連れて来た甲斐がありました。



食事後のリハーサル風景。
バッバル氏は、キールタンのゲストとして頂いた札付きのショールを
肩にかけたまま、歌い続けます。

それにしてもシャンカル氏は、歌に合わせて、バッバル氏の目をずっと見続け
サポートしながら真摯にあわせてくださいます。
エゴが一切ない方でとても好感が持てました。


そして、リハーサルの後には、ちょっと頑張りすぎて足が疲れてしまった
バッバル氏にマッサージまでするシャンカル氏。しかし、そこに至るまでの
無理矢理寝かせようとするシャンカル氏と、そんなことをあなたには
頼めないというバッバル氏との間での二人相撲は怪しげなベットシーンの
ようで笑えました。 バッバル氏のみならず、シャンカル氏もバッバル氏の歌に
惚れたという感じです。それ以来、シャンカル氏も一緒に我々の珍道中に積極的に
加わってくださったのでした。

気付くと二人は、ガンガー沿いを一緒にずーーっと話しながら歩いています。
....と、そのとき。バッバル氏が後ろで大きな声で叫んでいます。
かなり先を歩いていたムクタさんと私が振り返ると
「誰が吹いているんだ?!」と言って、来た道を戻るバッバル氏。
何事かと私たちも向いました。

そこには、盲目の小さなおじいさんが、アーラティの曲を横笛で
吹いていました。バッバル氏は、その演奏が素晴らしいと言い、
わざわざそこまで戻って、その老人を讃えるとともに100ルピー札を
渡したのでした。そこにはコインや10ルピーが数個置かれていました。
その老人の隣には、彼の奥さんも座っています。
彼女は目の見えない旦那さんに、涙を浮かべながら100ルピーも頂いたと説明します。
生き生きとした表情で、彼の笛の音は、ガンガーの波と風とともに
一層高らかに舞ったのです。

バッバル氏は帰りの電車で私にその時のことを話しました。

「理由は知らないけれど、不幸にも、彼は目が見えない。でも
 そんなことで人を差別してはいけない、あれだけ素晴らしい音楽を
 奏でられるんだから...」と。

一緒にいたシャンカル氏も涙が出たと言っていました。
こういうちょっとしたところで人間が出るんだなーと
やっぱりバッバル氏はすごいなと感心するとともに、
自分がとってもとっても小さく思えたのでした。



翌朝。
ガンガー沿いをムクタさんに案内して頂いて少し散歩しました。



この高台にはシヴァリンガが祀られていますが、歌うに絶好の場所であります。
もちろん、、、、言うまでもなく...。



インドのサブちゃんデス。




踊るムクタさん、歌うバッバル氏、写真に興じるAyako。




この日はとにかく歌いました。スクールファンクションの後には
シャンカルさんも再びいらっしゃってくださって
シヴァナンダ・アシュラムへも足を運びます。
途中猿の家族とすれ違いながら、けっこうな階段を登りきったところにそれはありました。



この写真ではわかりにくいのすが、ここはちょっとしたインド楽器博物館のよう。
ガラスケースの中には、ハーモニウム、タブラ、シタール等々のインド古典楽器が
とてもきれいに保管されているのです。そしてそれらの楽器に囲まれながら
バッバル氏は、シャンカル氏のタブラとともに ここでも歌を披露。
今後につなげるためにも、まずは実際に自分の歌を聴いてもらおうと
考えていらっしゃるのでしょうか...。

......と、いろいろと予定外の事も出てくるので、アーラティをミスったり、
遅刻するということになります。


この日も遅刻してアーラティに現れたバッバル氏。シャンカル氏も一緒です。
アーラティ後、アシュラムへもシャンカル氏とともに。
シャンカル氏は何気にリシケシュの音楽関係者、アシュラム関係者から
一目置かれている方のようです。みんながシャンカルさんに特別挨拶にきます。
昨日まではちょっと冷たかった受付の兄ちゃんまでもが、今までは決して見せなかった
笑顔でシャンカルさんに挨拶しています。そのシャンカル氏が、バッバル氏を
「グルージー」(師匠)と呼ぶのを聞くにつけ、周囲の人々の態度が
魔法にかかったかのように溶けてきます。シャンカルさんに感謝感謝です。


そしてこの日も、バッバル氏は懲りずに、ハーモニウムを用意してくれないかと
頼みます、しかし今回はタブラも付けて...。
夕食を食べたりしながら、そうこうしているうちに
ついぞ!! ハーモニウムとタブラを、空いている部屋に用意したと
言ってきました。その上、受け付けの兄ちゃんたちは宿泊客に宣伝までしています。

いや〜〜、おそれいりました。バッバル氏の執念が叶ってアシュラムの一室は
ちょっとした演奏会場となったのです。おもいっきりベットの上で演奏なんですけどネ。
オーストラリアからやってきた家族連れやその他の宿泊客も聴きにきて
みんなノリにのって一緒になって歌っています。ガザル好きの事務局の二人も
もちろんニコニコ顔でやってきました。そして携帯で写真をとったり、録音したり、
ついには、そのガザル好きの事務局のおじさんまで歌い出し、息子さんはタブラを叩きます。




夜の11時くらいまで歌っていて、シャンカル氏はこの夜、アシュラムのバッバル氏の
部屋に泊まりました。隣の部屋からはしばらく、彼らの歌が聞こえていました。


最後にバッバル氏が我々に言う事には
「私たちはやれるだけのことはやった。数々のアシュラムを訪れ
 また主要な人たちにも会って話してきた。後はそれらの人たちが
 どう動くかだね」と。

本当に、実践実践で最後まで見せてくれました。本来バッバル氏はそれなりのところに
しっかりと招聘されて歌う歌手です。それが今回は、とにかく自分の歌を
できるだけ多くの人たちに聴かせること、それを最大限の自分の役割と
決めてきてくださったのかと、そんな風にも感じられるのでした。

ムクタさんは言います。これも神様の計らいだったのかな?と。
我々の泊まったパルマートニケタンのプレジデント、
オーラびんびんのスワミジーが、もしもアシュラムにいる時であったら、
事務局や受付の人たちを巻き込んで、ここでバッバル氏が歌ったりなど、
できなかったのでは...ということです。
スワミジーに出会う前段階として、アシュラムの主要な人たちを見方につけた
と言える今回のリシケシュ滞在でした。

2009/01/29

リシケシュ紀行 <5>

続いて<Mr. Babbar ①>。
バッバル氏と3日間一緒に行動していて、、、おそれ入りました。

VIP対応好きなのか...?!

「Ayako、駅に着いて、電車の席がエグゼクティブ・クラスじゃなかったら、
エグゼクティブに変えよう!!」と言ってきたバッバル氏。
しかし、ハルドワールまでの電車では一番早くて良い電車の
それもファースト・クラス、エアコン付きを予約していて、これが一番いいはず。
「ファーストのACが一番いい席で、エグゼクティブは無かったと思います」
「そうかな〜あるんじゃない?」となかなか信じてもらえず...。
しかしこの件は、現地にて実際に見てみて大丈夫でした。

それにしても、ファーストクラスはすごいです。
新聞(好きなものを選べる)とペットボトル1本の水が各自に用意され、
まずは紅茶とビスケットと飴にはじまって、
その後は、スナックと、しっかりした朝食(それも選べる)から、果物にジュースまで
4-5時間食べ続けていたくらい、常に何か運ばれてくる感じでした。
ちなみに帰りはもっとすごい。ディナーと言ってもいいようなスナック類の後
本格的なディナーが。それにミターイーやアイスクリームもついてくるし。

しかし、帰りは帰りで、バッバル氏は完全にVIP対応。(いつの間にか...。)
途中で20分止まる駅があるのですが、その前に、ウォッカとソーダとコーラを
買ってくるように、駅員に頼んでいたらしいです。
おそらく「わたしはこういうもので...」とそれなりに並べたのだとは思うのですが
インドでは大げさくらいに自分の事をアピールしてようやく信じてもらえるいうか
そうしないと、何もできない時もあり、またそうすることによって
すんなりとまかり通ってしまう...。こういうのが、インド特有の恐るべしところですが
インド人はその手のことは根っから心得ている気がします。

アルコールとともに、私たちのところだけ、
瀬戸物のお皿に入った「おつまみ」まできます。
ひとつには、人参と大根にレモン汁を絞ったようなスティック生野菜と、
そしてカシュナッツなどのナムキン類。
バッバル氏は言います。
「この車両の80%の人は飲んでいる」
辺りを見ると、確かに隣の二人はビールを飲んでいる...。
悪いことではないのですが、インド人はアルコールを口にしない人も多いので
それを思うと、異常に飲んでいる人が多い気がするファーストクラス。

その後、ディナーは、ノンヴェジかヴェジかと聞かれましたが、
他の乗客には、機内食のようなお盆にのったセットで配られる。
私たちにそれは来ない。そしてその後、
きちんとしたお皿に、チキンの照り焼きと、チキンカレーが盛られてきました。

インド人のVIPたちは、通常このように特別扱いされているんだなーと思いましたが
それをバッバル氏も知っていて、やっているというわけか...。

ただ、この食事が私のお腹の調子を狂わせ気がしないでもないんです。
新鮮さにおいて、どうなのかな?と。
私にはセットメニューの方が魅力的でした〜。


その他、アシュラムではガンガーの見える部屋に泊まりたくてしょうがなかったり
他のホテルも見てみたかったり、訳を話したところでいつまでもそれが頭から
離れない様子ではありましたが、
しかし、しかるべき人であるということも確かなのです。
それがしっかりとわかった旅でした。


私とムクタさんはとにかく予定通りにミーティングや物事をこなす事に
一生懸命。その分、そのような時間管理など一切構わず
感性の趣くままを貫いていたのがバッバル氏です。
根っから、人好きで、気の会う人とは、ずーーーと話し込みます。
そして、いろんな場で、出会う人会う人と長話になります。
朝食のために食堂へ行くと、たくさんの外国人と出会います。
彼ら彼女らに微笑みながら話しかけます。
「グッド・モーニング」「楽しんでいるかい?」と声をかけ、その後、
話しに乗ってきた相手には、自己紹介し、デリーのスタジオへぜひ来てくださいと。
そして相手がイギリス人ならば、イギリスへ行った時のことにはじまり
イギリスに住んでいる友達のこと...
相手が、マッサージ師だとなれば、いろいろなアドバイスを求める...
毎回毎回違う人に声をかけていきます。
これが朝から夜まで続く感じです。


アシュラムへの帰り道、CDショップに自分のCDを置いてもらおうとするバッバル氏。
持参したCDをまずは聴いてもらいます。
店主の目をじっと見つめるバッバル氏。そして眼力の強いバッバル氏からは
視線をはずしじっと一点を見つめて集中モードに入る店主。



バッバル氏は、目をつぶって音楽に酔います。
店主は一向に目線を変えません....。約10分ほど。



そして、ようやく店主が感想を述べると
「あなたの音楽に対する評価は素晴らしい。あなたの店に私のCDを
おいてもらうことがどんなに光栄なことか...」
「今度はポスターをもって来るのでそれを店の看板の目立つところに貼ってください。」
と続ける。二人とも仲良しっぽくなってきて
「わッはっはっはっは...」得意の水戸黄門的笑いまで...。


そして、アシュラムでもCDを置いてもらえないかと尋ねる。
そして「ハーモニウムは借りられないかな〜?」と会う度に言い続けます。
「私はこういうもので...」と話しながら...。
しかし、我々の泊まったアシュラムでは、そこのCDでさえも売らない場所ではあり
ハーモニウムもだいたい使っていたり...。それに最初は誰もが
少し不信がり、そこまでの特別サービスはなくてあたりまえかとは思います。


そして、2日目の夕食後、事務局の受付にいた2人のおじさんにも
わざわざ挨拶にいき、話し始めたバッバル氏。
彼らも最初は堅かったのですが、どんどんバッバル氏の話しに巻き込まれて
しまいには、自分の携帯電話に入っているガザル(インドの演歌のような歌)を
何曲も何曲も聴かせては、みんなでうっとり〜〜ということになりました。
受付のおじさんはいずれも、バッバル氏の最も得意とする「ガザル」が大好きだったのです。
さらにそのうちの一人は、息子さんはタブラを弾いているとのこと。
バッバル氏は、自然に素直すぎるほどに、自分の気の向くまま行動しているようなのですが
なんとなくいい感じで周辺がバッバル氏のペースに...。

「アシュラムに勤めているのに、彼らはバジャン(神に捧げる歌)じゃなくて
ガザルばかり聴いている」というのがバッバル氏的にはとってもおもしろかったようです。


そして、アシュラム滞在たった3日にして周りの人たちは
どんどん変わっていったのでした。その模様と
「歌う、歌う、我が人生は」は続編に続きます。

See you soon!!!

2009/01/27

リシケシュ紀行 <4>

<アシュラム〜その他編>
リシケシュ2日目、ムクタさんのアシュラムを訪れました。
ムクタさんは日本人のヨギーで、タブラやカタックも学んでいます。
昨年秋からSatish Babbar Creative Music Foundationにも所属され、
3月に予定している公演では、彼女のカタックとオンドで共演する予定です。
ムクタさんは、リシケシュの古いアシュラムの一角を手直しして
そこに住んでいます

リシケシュ滞在中、彼女のアシュラムにて
「キールタン(インド版賛美歌)」の会が行われました。

写真にはうまく収まりませんが
このアシュラムは、門をくぐると、中にはとっても広い真四角の広場があって
その周りの四方が2階建ての建物(部屋)となっています。
古い中にも、独特のフォルムが生かされ、色合いもとてもきれい、
そしてかわいらしさも兼ね備えた素敵なアシュラムです。
この広場でカタックを踊ったら、縦横無尽に動き回れそうですね。
公演にも使えそうないい空間の広場です。




二階でひなたぼっこしながら本を読んでいる老紳士、ご夫妻。
キールタンにもいらっしゃったムクタさんのお隣さんです。






どことなくヨーロッパっぽい雰囲気もあるように思えるのですが...。
どうでしょう?






この部屋の中でキールタンが行われました。




バッバル氏も歌を披露。そしてその後にはCreative Music Foundationの
今後の意向等も話されたのでした。



ここにはたくさんの温かい協力者のみなさんが集まっていらっしゃって
チャイを入れて頂いたり、またリシケシュでNo1というインド料理も、その中の
お一人のご好意により用意され、みんなで会食となりました。
ムクタさんとみなさん、絆がしっかりとできていて、心から動いてくださっているのが
強く感じられました。周囲のこのような方々から今後の公演等もご協力頂くことになりそうです。




そして、翌日、我々はタブラ奏者のシャンカル氏に案内して頂いて
ディアナンド・アシュラム、そしてヨガの本家シヴァナンダ・アシュラムも訪れ、
それらでの公演の可能性等々も探りました。

シヴァナンダには、インド楽器博物館のような一室がありました。後日紹介します。
また、ディアナンドもかなり大きなアシュラムで、モダンな雰囲気があって
外国人も多く修行に訪れているようです。そして、このアシュラムからガンガーを見ると
その対岸には、思わず手を叩いて喜んでしまったあるものが...




拡大。



ビートルズが今から約40年前に訪れたマハリシ師のアシュラムです。
今では廃墟となってはいるようですが、次回の訪問の際には足をのばしてみたいです。

2009/01/26

はみだし情報!!

インドの伝統的なお菓子<ミターイ>。

主にはギー(牛乳から作られるバター以上に精清度の高い食用油脂)や
牛乳、各種ナッツ類、ドライフルーツ、小麦粉、カルダモンなどでできている
甘いお菓子です。

そしてインドでは、お祝い事があると、ハッピーな本人が、その喜びを分つべく
他人をも喜ばせる習慣があります。 特に、何かの仕事始めや、誕生日など
そんな時にはミターイを買ってきて、みんなにプレゼントしたりします。


先週、スタジオ内に作っていた小さな部屋が完成しました。
これまではいつもヤドカリのように、空いている部屋から部屋へいったりきたり
パソコンやシンセを動かしていましたが、これからは ありがたくも
この部屋を専用に使わせて頂くことになりました。
デザイナーであるバッバルさんの義弟さんや娘さんが協力的に
小さな空間を工夫して設計してくださいました。
そしてエンジニアのグルプリートが、機材の配線などを手伝ってくれました。


そこで、前々からうわさには聞いていて一度は行ってみたかった
オールド・デリーはチャンドニー・チョークにある、創業1790年という
老舗「ガンテワラ Ghantewala」へ、先週土曜、スタジオへ行く前に直行。
いろいろなミターイを箱に詰めてもらって、サモサも買ってきました。


スタジオに着いて、ちゃんと祭壇の神様の口にもミターイをつけて
そしてシンセにもつけて、その後はみんなで食べまくり...。

サモサは、その中身はポテト主体が多い中で、これは、大粒のグリーンピースだけがびっしり。
豆の自然の甘さ。そしてカラッと揚がって、重くなく美味しかったです。


そして、ミターイ。これは格別でした。見た目は統一感がなかったですが
どれもこれも味が違うので、ミックスにしてよかったかもです。みんな次から次へと
いろいろなものを摘み食いし、手が止まりません。
幾種類もあるミターイの、それぞれの味の違いを際立たせつつ
どれも美味しい、これは本物だなーと唸らせます。そして
使用されている純正ギーがかなり良質なのだと感じました。
他のお店のものとは違って、また食べたいと癖にさせる何かがあります。


この店のおじさんは、商売慣れしている感じで、はっきり言って少ししつこいんですが、
ここはオールド・デリー。それも下町人情と割り切って
半分はおじさんのペースに乗りつつ、自分の要求も出しつつ...。
そして、最後の最後まで「これが一番!! これをたくさん買え!!」と言い続けていた
お菓子も入れてもらいました。 さすがに言う通り、本当にそのオススメ品はすごかったです!!!
少し堅い感触のお菓子なのですが、次の瞬間にはギーが口の中でほわ〜〜〜とろける
「何コレ〜〜〜♡♡」と顔が歪みます。食べた事のない美味しさでした。
その後には、少しだけ飴のようなものが歯にくっついてはくるのですが
止められない感触と味です。書いている今でも、また食べたい!!


地名「チャンド二ー・チョーク」とは、「月の光の道」の意味。
名前からしてしびれます。そしてこの一帯はオールド・デリーとも呼ばれ
には菓子屋に限らず古くからの老舗が今なお残ってもいるようです。
しかし良くも悪くも、オールド・デリーは、いわゆる元々のインドらしさ充満の地で
小さなお店がゴチャゴチャ、人もわんさか、全てがいっしょくたんでごった返しています。
このような場所はいずれ、もしかしたらなくなってしまう(現代化される)可能性も
無きにしもあらず。それは少しもったいない気がします。

本当にオススメのインド菓子屋
お菓子の写真はこちらでご覧下さい。
Ghantewala website

リシケシュ紀行 <3>

今日のインドはリパブリック・ディ(共和国記念日)で祝日です。
ラール・キラーからインド門にかけてパレードが行われました。
自分は行ってはいないんですけどね〜〜

24日にはシン首相の心臓バイパス手術も無事終わったようですし...
5つの血管移植で、手術は11時間にも及んだそうです。

そしてここ数日でデリーの気候は変わってきました。
初春の兆しです。洗濯も外に干せば早く乾きま〜す。


前置きはこのくらいにして
第三弾<アシュラム〜パルマート・ニケタン②>です。

パルマート・ニケタンでのメインに触れないことには...。

夕方5時半からガンガーの岸辺で「アーラティ(ヒンドゥーの礼拝)」が毎日行われ
タブラとハーモニウムの伴奏とともに、ヒンディー語による祈りの歌が歌われます。
昨日の写真にあったシヴァ神のすぐ、そこで... それは行われます。



火が焚かれ、修行僧の子供達がそれを囲みます。



そして階段上にも多くの人たち。次の写真の右側で、歌って、演奏していらっいます。




しかし、本来は、ここに、このアシュラムのプレジデントたる
スワミ・ヂダナンド・サラスワティ(H.H. Pujya Swami Chidanand Saraswatiji Maharaj)氏
のお姿を拝めるのだそうです。すごいオーラを発していらっしゃる方のようです...。
ご覧になりたい方は、上のお名前をクリックしてくださいね!!

我々の今回のリシケシュ訪問理由のひとつには、インターナショナル・ヨガ・フェスティバルの
開催期間中に、ここパルマート・ニケタンにて、音楽会をやらせてもらえないかという願いがあり
直接スワミジーにお会いしてお話をさせてもらって... ということだったのですが、
ちょうど我々がリシケシュに着くその日に、彼はアメリカへ発つことが数日前に発覚しました。
出発の前にと、急遽バッバル氏が手紙を書き、もう一人のクリエイティブ・ミュージック・
ファンデーションの日本人、リシケシュ在住のムクタさんが手渡し、説明し... 
スワミジーの手配のもと、代行の方にお会いできることになりました。


ムクタさんによると、少し前にはドイツ人の団体さんがアシュラムに宿泊し、また
アーラティにも参加していて、その時はもりに盛り上がり、スワミジーも髪の毛を振り乱して
歌いながら大揺れに揺れていたとか...。トランス状態だったのでしょうか?
そんなの見てみたい!! 次回の期待を胸に。


話しを戻して、
アーラティも中盤にさしかかると火を灯し、それを回しながら歌います。
ここがクライマックスです。





子供達の表情と動きが何とも言えず、ついつい魅入ってしまいます。
目をつぶりながら、身体を左右に揺すりながら、真剣に歌っています。




シヴァ神も暗闇の中、輝きが増してきます。




最後の盛り上がり、神聖な気持ちが高揚してきます。



アーラティがひととおり終了すると、ガンガーの水を手にとって口にし、そして身体にも
パッパッとふりかけ清めます。 灰もお清めのようで額につけてもらいました。




ところで、アーラティは約1時間ほど、その間、同じ場にいて、
ずーーーっと、同じ姿勢を保ったまま、一時とも本から目を離さず、
1秒たりともアーラティを見ていないおじいさんがいて、とっても気になりました。
左右違う色の手袋も不思議なのですが...。もしかしたら歌詞を見ていたのかもしれません。
インドはいろんな人がいますね。




このアーラティには誰でも参加できます。またアシュラムに宿泊している場合は
なるべく参加するようにとのことなのですが
我々は、一度はミスって、私は一度だけ全部参加、バッバル氏は2度遅刻というありさまで
アシュラムの事務局の人からは
「どうして遅れたんだ!? 」ととがめられます。
しかし決して怯まない、というか、全く悪気がないのかバッバル氏。
「よく聞け!!!!」 
それを聞いていたムクタさんは、何を言うのかと注目。
バッバル氏は自信満々に続けます「まずはチャイを飲んで、それからトイレに行ってたんだよ」
すると事務局の人も「ああ、そっか」。さっきの勢いはどこへやら。
そのまんまの答えとその反応に、ムクタさん、ズッコケまくりです。

2009/01/25

リシケシュ紀行 <2>

リシケシュ第二弾は<アシュラム〜パルマート・ニケタン①>。

リシケシュはアシュラム(僧院)だらけです。
大規模なものから、こじんまりしたものまで、そして
今では使われていないアシュラムも多々あるそうです..。

私たちは3泊ともパルマート・ニケタン・アシュラムに宿泊しました。
パルマート・ニケタンは、かなり大規模なアシュラムで、何よりも
入り口に面したガンガーの上にそびえるシヴァ神がかなり象徴的です。
また毎年3月に国際ヨガフェスティバルの会場でもあります。

これがそのシヴァ神。迫力あります。



以前は川の横にあったようですが、それが川の上に引越したそうです。
しかし建設中でまだこの踊り場のような所までは入れません。


シヴァ神は、アシュラムの入り口と対面しています。
少し離れてみると幕付きのステージのようにも見えます。




これは門なのですが、その上がまた凝っています。
インドっぽくないような気も...。




と、ここまでは、細い通りを挟んでアシュラム入り口の反対側でした。
そして、こちらがアシュラムの入り口です。




入り口を入ると、きれいに整備された庭となっていて
更に中にもゲートがあったり、神話に基づいた人形のようなものがあったり...。
僧院っぽさがあって、最初は慣れない不思議な気持ちでした。






広い敷地の中、レセプション、食堂、ホール、蔵書室、寺院、
また裏通りを超えたところにはヨガ・ホールなどがあります。
とにかく広い広い...。野生の猿もいます。
下の写真は、宿泊室が連なる一角です。




早朝、さわさわとした音で目が覚めました。
もしかして雨? あるいはガンガーの波の音? と思いましたが
朝は風があって、大木の樹々の葉の鳴る音でした。
デリーより温かく、花々も鮮やかに咲いていました。



この大木には、密かなお楽しみがあります。
裏側の幹には...。



自然が作り出したガネーシャ神(象の姿をした神様)、かわいいです。

2009/01/23

世界に平和を...



昨年末からスタジオで手がけていたテロに対する音楽、
「平和を世界にリクエストする曲」が出来上がりました。

ヒンディー語の歌詞で、歌はバッバル氏とバニー(バッバル氏の娘)。
私は、主にコード進行とピアノのパートを作り
そして最後の最後に、オンド・マルトノでもほんのワンフレーズ
ヴァイオリンと一緒に演奏させてもらいました。

前からオンドも入れたいと言ってはいましたが
おそらく私の説明不足なところもあり、また力不足で
その魅力を伝えきれていなかったのだと思います。

そんなわけで、先日、今一度冷静になってバッバル氏に説明してみました。

「オンド・マルトノが、作者モーリス・マルトノ氏によって発案されたのは
 第一次世界大戦中でした。通信兵として戦地に徴兵されたマルトノは
 戦闘機が飛ぶ中、真空管の澄んだ音色に心奪われ、その純粋な音色を持つ楽器を
 作る事を思いついたのです。
 多くの人々が戦いの犠牲となり、大人も子供も誰もが不安と貧困を強いられた時代に
 その現実を背負いながらも、人々の平和と喜び=人間の本来の自由を追究した末に
 生まれた楽器です。テロも戦争であり、世界に平和をリクエストすることに心から賛同します。
 だからこそ、とりわけこのオンド・マルトノでその意を表明したい」と。

決して図ったわけではないのですが、そのときバッバル氏は
調子の悪い喉のために、専用容器に顔ごとつっこんでスティームを吸っている最中、
一方的に聞き役でした。(ヤッホー!!)

スティームから顔をあげたバッバル氏は一回うなづき
 「わかった。最後のヴァイオリンの旋律を」と言ってくれました。

本心はもっと入れたいところですが
その魅力を伝える事はまだまだ今後の私の課題です。


そして今日、バッバル氏は
インド首相や官僚、主要なテレビ局に、電話、メール、ファックス、SMSをしまくりました。
来週月曜が「リパブリック・ディ」であるインド、
何とかその日にこの音楽を放映してもらえないかという依頼です。
日本では考えられないほど、直前すぎます。
その上、ファックは届かなかったり、鮮明でなかったり
インドは常にスムーズには事が進みません。しかし、
明日には、CNN、BBC、そしてオバマ大統領にも手紙を書こうと話しています。
どこかが取り上げてくれることを願うばかりです。

ところで、
オバマ氏の就任演説をネットで読みました。
心の真なる言葉で真正面から伝えるスピーチはカッコいいですね。
テロ撲滅に自ら立ち向かう姿勢も強く、思いやりと団結を求める言葉にも
力を感じます。エゴのない世界には、たくさんの合わさった力が平和や希望へと
動き出すのだと思います。自分ももっと精進しないと...。

2009/01/22

リシケシュ紀行 <1>

数回に分けて1/13-16までのリシケシュ紀行を掲載します。
第一弾は<ガンガー>。

これです、これがリシケシュのガンジス河です。



川岸には、パンツ1枚で沐浴をしている人やら、サドゥー、牛などなど...
少し不思議なインド情緒、ご覧下さい。






水が澄んでとてもきれいです。川の流れも早いです。



川には2本の吊り橋がかかっています。
下の写真はラーム(シヴァナンダ)ジューラーと呼ばれている下流側の橋。
風が強いとかなり揺れ、また魚のえさを売る子供たちが詰め寄ってきます。
そして見下ろすと、戯れるたくさんの魚が見えます。



続いて、この橋の上からの写真です。上の写真のこちら岸から対岸へと渡っていきます。

橋の右側手前の川底は浅く、部分的に底の石が出ているところもあります。
そして進むにつれて、底が深そうなエメラルド色へと川の色は変わっていきます。
山並みも日本を思い出すような景色です。





次に、橋の左側の風景を順にどうぞ...。






連日、晴天に恵まれ、着膨れして行った割には、デリーよりもむしろ温かいのでした。


リシケシュの川沿いの道はいずれも狭く、吊り橋は車が通れません。
バイクや自転車はOKなのですが、幅が狭いし
歩いて渡る方が風情もあるし楽しいですね。




こうして久々にデリーの外へ出てみると、空気が安全、安心できます。
それに自然に囲まれるだけでリラックスできます。
デリーがなんと汚れていて、ゴミゴミごちゃごちゃしているか
ハッと気付きます。


初めてガンジス川を見たのは、ヴァナラシでした。
その時は「全てを包み込む母なる聖河」のイメージが強かったのですが
ここリシケシュのガンジス川は浄化されていて違う印象を受けます。

「人は生まれる以前には存在していなかった。
 死の意味は、そこに戻ること。自然に還ること。」

バッバルさんの奥さんは、闘病の末、昨年夏に他界しました。
そして、この川に還ったのです。
この清く広いガンジス川に、彼女の優しい微笑みが大きく映ります。
ありがとう、アニーラ。 川の水が歌っています...。