2009/01/30

リシケシュ紀行 <6>

<Mr. Babbar ②>  歌う門には福来たる〜?



上の写真は、リシケシュに着いた翌日、ムクタさんのアシュラムにて
行われたキールタンで、ゲストとして歌っているバッバル氏。
バチッと決めてくださって、会も締まりました。

演奏が終わって、みんなでランチを頂いてからも
リシケシュ在住で、ムクタさんご推薦のタブラ奏者、シャンカル氏と
ノリノリでリハーサルが続きました。

実は、このシャンカル氏をバッバル氏が気に入るかどうかが
今回の我々の一つの目玉でもありました。
私たちは予定している演奏会で、シャンカル氏にタブラを
お願いしたいと思っているからです。
しかしバッバル氏は、リシケシュに来る前までは、なかなか信用してくれません...。
小さな町で実力がともなわないのに鼻高々と...という演奏家もいないではないのかも
しれないですけど、会ってもいないうちから決めてかかるのはどうかな〜〜。
でもムクタさんは、実際に聴いてもらったら絶対にわかると信じていたのであります。
私は話しを聞く限り、とっても人間的に良さそうな気がしていて...。

リハーサルの様子を垣間みるにつけ、すごい!! 思いっきり楽しそう。
うまくいっている様子です。何曲も合わせています、そしてついに
バッバル氏の十八番の歌が登場。この歌が出るってことは、、、
バッバル氏は彼を気に入っているんじゃない???!!! 大成功!!
と、私とムクタさんは隣の部屋で抱き合って喜んだのでした。
連れて来た甲斐がありました。



食事後のリハーサル風景。
バッバル氏は、キールタンのゲストとして頂いた札付きのショールを
肩にかけたまま、歌い続けます。

それにしてもシャンカル氏は、歌に合わせて、バッバル氏の目をずっと見続け
サポートしながら真摯にあわせてくださいます。
エゴが一切ない方でとても好感が持てました。


そして、リハーサルの後には、ちょっと頑張りすぎて足が疲れてしまった
バッバル氏にマッサージまでするシャンカル氏。しかし、そこに至るまでの
無理矢理寝かせようとするシャンカル氏と、そんなことをあなたには
頼めないというバッバル氏との間での二人相撲は怪しげなベットシーンの
ようで笑えました。 バッバル氏のみならず、シャンカル氏もバッバル氏の歌に
惚れたという感じです。それ以来、シャンカル氏も一緒に我々の珍道中に積極的に
加わってくださったのでした。

気付くと二人は、ガンガー沿いを一緒にずーーっと話しながら歩いています。
....と、そのとき。バッバル氏が後ろで大きな声で叫んでいます。
かなり先を歩いていたムクタさんと私が振り返ると
「誰が吹いているんだ?!」と言って、来た道を戻るバッバル氏。
何事かと私たちも向いました。

そこには、盲目の小さなおじいさんが、アーラティの曲を横笛で
吹いていました。バッバル氏は、その演奏が素晴らしいと言い、
わざわざそこまで戻って、その老人を讃えるとともに100ルピー札を
渡したのでした。そこにはコインや10ルピーが数個置かれていました。
その老人の隣には、彼の奥さんも座っています。
彼女は目の見えない旦那さんに、涙を浮かべながら100ルピーも頂いたと説明します。
生き生きとした表情で、彼の笛の音は、ガンガーの波と風とともに
一層高らかに舞ったのです。

バッバル氏は帰りの電車で私にその時のことを話しました。

「理由は知らないけれど、不幸にも、彼は目が見えない。でも
 そんなことで人を差別してはいけない、あれだけ素晴らしい音楽を
 奏でられるんだから...」と。

一緒にいたシャンカル氏も涙が出たと言っていました。
こういうちょっとしたところで人間が出るんだなーと
やっぱりバッバル氏はすごいなと感心するとともに、
自分がとってもとっても小さく思えたのでした。



翌朝。
ガンガー沿いをムクタさんに案内して頂いて少し散歩しました。



この高台にはシヴァリンガが祀られていますが、歌うに絶好の場所であります。
もちろん、、、、言うまでもなく...。



インドのサブちゃんデス。




踊るムクタさん、歌うバッバル氏、写真に興じるAyako。




この日はとにかく歌いました。スクールファンクションの後には
シャンカルさんも再びいらっしゃってくださって
シヴァナンダ・アシュラムへも足を運びます。
途中猿の家族とすれ違いながら、けっこうな階段を登りきったところにそれはありました。



この写真ではわかりにくいのすが、ここはちょっとしたインド楽器博物館のよう。
ガラスケースの中には、ハーモニウム、タブラ、シタール等々のインド古典楽器が
とてもきれいに保管されているのです。そしてそれらの楽器に囲まれながら
バッバル氏は、シャンカル氏のタブラとともに ここでも歌を披露。
今後につなげるためにも、まずは実際に自分の歌を聴いてもらおうと
考えていらっしゃるのでしょうか...。

......と、いろいろと予定外の事も出てくるので、アーラティをミスったり、
遅刻するということになります。


この日も遅刻してアーラティに現れたバッバル氏。シャンカル氏も一緒です。
アーラティ後、アシュラムへもシャンカル氏とともに。
シャンカル氏は何気にリシケシュの音楽関係者、アシュラム関係者から
一目置かれている方のようです。みんながシャンカルさんに特別挨拶にきます。
昨日まではちょっと冷たかった受付の兄ちゃんまでもが、今までは決して見せなかった
笑顔でシャンカルさんに挨拶しています。そのシャンカル氏が、バッバル氏を
「グルージー」(師匠)と呼ぶのを聞くにつけ、周囲の人々の態度が
魔法にかかったかのように溶けてきます。シャンカルさんに感謝感謝です。


そしてこの日も、バッバル氏は懲りずに、ハーモニウムを用意してくれないかと
頼みます、しかし今回はタブラも付けて...。
夕食を食べたりしながら、そうこうしているうちに
ついぞ!! ハーモニウムとタブラを、空いている部屋に用意したと
言ってきました。その上、受け付けの兄ちゃんたちは宿泊客に宣伝までしています。

いや〜〜、おそれいりました。バッバル氏の執念が叶ってアシュラムの一室は
ちょっとした演奏会場となったのです。おもいっきりベットの上で演奏なんですけどネ。
オーストラリアからやってきた家族連れやその他の宿泊客も聴きにきて
みんなノリにのって一緒になって歌っています。ガザル好きの事務局の二人も
もちろんニコニコ顔でやってきました。そして携帯で写真をとったり、録音したり、
ついには、そのガザル好きの事務局のおじさんまで歌い出し、息子さんはタブラを叩きます。




夜の11時くらいまで歌っていて、シャンカル氏はこの夜、アシュラムのバッバル氏の
部屋に泊まりました。隣の部屋からはしばらく、彼らの歌が聞こえていました。


最後にバッバル氏が我々に言う事には
「私たちはやれるだけのことはやった。数々のアシュラムを訪れ
 また主要な人たちにも会って話してきた。後はそれらの人たちが
 どう動くかだね」と。

本当に、実践実践で最後まで見せてくれました。本来バッバル氏はそれなりのところに
しっかりと招聘されて歌う歌手です。それが今回は、とにかく自分の歌を
できるだけ多くの人たちに聴かせること、それを最大限の自分の役割と
決めてきてくださったのかと、そんな風にも感じられるのでした。

ムクタさんは言います。これも神様の計らいだったのかな?と。
我々の泊まったパルマートニケタンのプレジデント、
オーラびんびんのスワミジーが、もしもアシュラムにいる時であったら、
事務局や受付の人たちを巻き込んで、ここでバッバル氏が歌ったりなど、
できなかったのでは...ということです。
スワミジーに出会う前段階として、アシュラムの主要な人たちを見方につけた
と言える今回のリシケシュ滞在でした。

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